子どもの「価値観」を育む働きかけ。

Filed Under (3-25.価値観の種まき) by 秋月 秀一 on 19-02-2010

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第3章の25

知らないうちに、種はまかれる。

〜「価値観」の種まき


隣家の庭では、誰も植えた覚えのないユキヤナギが大きく育っています。きっと野鳥が種を運んできたのでしょう。ユキヤナギは早春になると、雪が積もるように白い花をつけます。大きく広がる枝が真っ白な花でいっぱいになると、たいへん見ごたえがあります。
人が気づかないうちにこんな種がまかれ、見事な花に育つことに感心しました。

育児を行いながら自分の幼少期を振り返ると、その頃にまかれた種が、現在の自分の「価値観」として根づいていることに気がつきます。
私の母方の親戚には、お盆や正月に会うと気前よくお小遣いをくれる大人が多くいました。ところが大阪の叔母だけは、何度会っても一度も現金をもらったことがありませんでした。そのかわりにキーホルダーや文具、そして和菓子などをくれたので、いつも私は不満でした。ある時、その叔母がマーガリンのケースを弁当箱にしている様子を見て「お弁当箱が買えないなんて・・・」と、私は叔母に同情しました。
しかし後に、私は母から驚くべき話を聞かされました。
その叔母は、大阪、神戸で大きな海運会社を経営する社長の令嬢だったのです。身近に富豪がいたことよりも、まさかあの人が!という事実に私は驚愕しました。
真実の影響力は、本や映画で見るものとは比べ物にならないインパクトだったのです。
それからは、周囲からケチと言われる叔母の行動を、好意的に見るようになりました。
当時の私は、お金を持てばすぐに使ってしまう浪費家でしたが、時とともにその意識は変わりはじめました。
そして現在から振り返ると「モノやお金では自分を表現できない」という私の価値観は、あの日の驚きを起点に形成を始めたように思います。

私にはもう一人、素晴らしい「価値観」を与えてくれた人がいます。それは、私が就学前に住んでいた家の隣人で頑固なおじさんでした。隣家からは海へ出ることができたので、魚を捕りに行く時は必ずおじさんの庭を横切らねばなりませんでした。ある日、私が庭を歩いていると、おじさんが出てきて「勝手に入るんじゃない!」と厳しく叱られました。大人に叱られた経験が少ない私は、その人の事が苦手になりました。
それからも危険な遊びをしたり挨拶ができない時は、よく叱られて嫌な思いをしました。
そして、小学校へ入学すると同時に家を引っ越すと、やがて頑固おじさんのことも忘れてしまいました。
30年の歳月が流れ、自分の子どもが誕生した頃から、その人のことをふいに思い出すことがあります。子どもを叱るには、たいへんなエネルギーが必要です。ましてや他人の子となると、多少の事なら見て見ぬふりをした方が楽ができるに違いありません。
しかしあの時、頑固なおじさんは、逃げたりせずに私に正面から向き合ってくれました。私を叱ったのではなく、強く守ってくれていたのです。

「価値観」は、何が大切であるのか、何が正しいのか、何を行なうべきなのかなどを判断する自らの基準です。
核家族化や近所との関係が希薄になった現代では、子どもが大人から影響を受ける機会が失われています。両親の「価値観」がそのまま子どもの価値観になることも珍しくありません。
IT社会では、年齢や地域、国を越えて人々がネットワークで結びつきます。そこでは、自らの「価値観」をしっかりと持ったうえで、他人の多様な「価値観」を受け入れて許容することが求められます。
【楽育】では、リアルな体験こそが、人の「価値観」に影響を与えると考えています。
子ども同士で影響し合うことも大事ですが、ほかの大人から学ぶ機会を得ることも幼児期には貴重な体験となります。
他人からの影響力を享受するために、まず様々な人と行動を共にする機会をつくることから始めます。たとえば、親子で参加できるサークルに所属する、友だちの家族と一緒に出かける、実家には人が集う時期に帰省するなど、ちょっと親が意識してやることで子どもが大人と接する機会ができます。
そこで私は、自分の子どもではなく、よその子どもに対して積極的に働きかけるようにします。また、時には自分から注意をしたり助言をすることも心がけています。
そうすることで、相手の親も私の子どもに遠慮なく接することができるようになります。親の間で信頼感ができれば、実の親子では面と向かって話しにくいことも、子どもに伝えてあげることができます。
たとえば「君のことが大事だからこそ、お父さんは○○と言った。お母さんは○○をしたんだよ」という話を、客観的に話して聞かせられます。
子どもにとっては、様々な「価値観」を持つ大人と出会うことで理解が深まり、多様な考え方を学ぶきっかけになります。
そして、そのことが自己を形成する一部になるのです。

私が小学校の頃に教科書で読んで、現在でも覚えている素晴らしい物語があります。
それは、松谷みよ子作の『花いっぱいになあれ』という作品です。

《学校の子どもたちが、ふうせんに花のたねをつけて、飛ばしました。
すると、その一つが子ぎつねのところへ飛んいきました。
風船のことを花だと思った子ぎつねは、それを小さな野原に植えます。
しかし、次の朝には風船はしぼんでおり、子ぎつねはがっかりします。

しばらく雨が続いた後、子ぎつねが再び野原へ行くと
そこには見たこともない芽が出ていました。
それはぐんぐん伸びて、やがて金色のひまわりの花を咲かせました。》

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育児に必要な、夫婦の信頼関係と共通認識。

Filed Under (1-7.夫婦の信頼関係) by 秋月 秀一 on 11-02-2010

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第1章の7

アジサイの色は、土の性質で変わる。
〜「育児に必要な夫婦の信頼関係と共通認識」

梅雨時期の風物詩として、私たちの気分を爽やかにしてくれるアジサイ。
古くは万葉集にも詠まれ、現代も多くの日本人に親しまれています。
アジサイは、土壌がどのような環境であるかによって色が変わります。
土の性質がアルカリ性に近ければ赤みがかり、酸性に近ければ青みがかります。
日本では酸性の土壌が多いため、青色のアジサイがよく見られます。

子どもは、育つ環境によって様々な影響を受けます。
そして、環境を左右するのが親の存在です。
「親がどのように育てるか」「親がどのような人であるか」によって、子どもの性格や行動は変わります。
「どのように育てるか」では、親が自らの経験から学んだ価値観が育児に反映されます。
子どもに対して責任感のある親は、子どもが真っすぐ育つように望み、そのためにできることを実行します。
一方で責任感のない親は、子どものことに無関心です。

人間は男女に関係なく「父性」的な面と「母性」的な面を持っていると言われます。
「父性」の強い親は、社会のルールや責任感を身につけさせるために子どもを「しかる」ことができます。一方で「母性」の強い親は、子どもを優しく包み込むように「ほめる」ことができます。
平成20年秋に放送された「土よう親じかん秋スペシャル」(NHK教育テレビ)では、
「ほめる育児」について特集されました。番組のために現役東大生と現役Jリーガーの各一〇〇人に「親からどのように育てられたか?」という調査が行われました。
それによると《東大生は親からほめて育てられ、Jリーグの選手たちは親から叱られて育てられた人が多数を占める》という結果になりました。

現代の育児では「ほめる」ことが推奨されています。しかし、強い心を持つたくましさの芽を育むためには「叱る」ことも必要であることが分かりました。
育児には「父性」と「母性」の両方が必要であると言われるように「ほめる」育児と「しかる」育児は二者択一ではありません。状況に応じて使い分けることができるのです。
「ほめる」ことができるから「叱る」ことに意味があり、
「叱る」ことができるから「ほめる」ことに喜びがあります。

「親がどのような人であるか」は、子どもの様子を見れば分かります。
いつもイライラしている子どもの親は、短気でストレスを抱えているようです。
一方で、落ち着きがあり聡明に見える子どもの親は包容力があり、ゆとりを持っているように思います。
「親がどのような人であるか」は、個人の性格や行動ばかりが重要ではありません。
夫婦の関係が子どもに与える影響は多大なものです。
【楽育】では、夫婦の信頼関係がしっかりしていることや、夫婦が育児に共通の認識を持つことを大切に考えています。
子どもから見て「お母さんはほめてくれるのに、お父さんは何も言わない」。
「お父さんは叱るのに、お母さんは無関心」では、大事なことが子どもに伝わりません。
たとえば、母親が子どものしつけで厳しく接している時に、父親が「まぁ、いいじゃないか」と適当に甘い顔をすることがあります。さらに、ここで父親が母親を非難するような態度をとると、パートナーの努力が台無しになります。
こんな時に父親は、どうしたらよいでしょうか?
私ならば、叱られた子どもの気持ちを受け止めながら、母親の考えを自分の価値観と言葉で子どもに伝えてやります。
子どもは叱られると、それだけで頭の中が真っ白になります。
「叱られて、つらかったね」と第三者が声をかけてやることで、子どもはホッとします。そると緊張がほぐれて、よく耕した土のように頭が柔らかくなり、水がしみ込むように親の話を理解することができます。

現代の育児では、母親の孤独が問題になっています。
「夫が育児に手を貸してくれない。大変さを理解してくれない」という母親からの声は絶えることがありません。仕事から帰ってテレビやゲームで自分の時間を楽しむ夫を、子どもの前で「何もしてくれない」と非難する妻もいます。すると、夫は「朝から晩まで働いて家族の暮らしを支えいるのに、なぜなんだ?」と反論し、喧嘩なることもあります。
夫婦の言い争いや責任の押し付け合いで、子どものためになることは1つもありません。

私が新入社員として広告会社で働き始めた頃、不思議に思っていたことがありました。
それは、幼い子どもがいる先輩が、仕事後もまっすぐ家に帰ろうとしないことでした。
ある日、その理由を聞いてみると「会社でドロドロになったまま家に入れないから、酒を飲んで清めてから帰るんだ」と寂しそうに語ってくれました。

日常生活では父親にも母親にも大変なことがあります。それは、どちらが大変かの競争ではありません。ふたりは「育児」という大切な目的を共有するパートナーです。相手を信頼し、共通の認識を持つようにお互いが努力すべきです。もし、相手が「何かをしてくれない」と感じることがあれば、まず自分の働きかけについて考えてみる必要があります。

イソップ寓話に「北風と太陽」という物語があります。
《ある日、北風と太陽が、旅人の上着を脱がせることで力くらべをします。最初に北風が大風を吹かして旅人の上着を脱がそうとします。しかし、旅人は寒さでますます上着を押さえ込んでしまい、服を脱がせることはできませんでした。
次に太陽がさんさんと旅人を照りつけました。
すると旅人は暑くなったために、自分から上着を脱ぎました。》

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