10歳までの楽育〜第4章の15

自分で育てるから、収穫が楽しい。

〜「子どもと幸せを感じる習慣」


自宅の庭やベランダで、ちょっとした野菜を育てる家庭菜園がブームになっています。
種と土、肥料などを買って自分で育てるよりも、スーパーで野菜を買った方が安くつきます。また、毎日水やりをしたり、雑草を抜く、枝を整理するなどの手間もかかります。
それにもかかわらず、なぜ自分の手で野菜を育てるのでしょうか?
家庭菜園では、収穫物だけを求めて種をまくわけではありません。そこには、自分の手で育てることの喜びや楽しみがあります。
収穫はもちろん、育てる過程において植物から与えられる恵みを「幸せ」として感じているのです。

娘が保育園に通っていた時のことです。朝夕の送迎は、軽い運動をかねて私が徒歩で行なっていました。私たちの団地から保育園までは徒歩で15分程度の距離でしたが、車で幼児を送迎している人がほとんどでした。
歩いて団地の坂道を上がる私たちの姿を見ると「大変ですねぇ」と、よく声をかけられました。
しかし、大変なことは何もありませんでした。保育園と家との往復は、私にとって素晴らしい時間でした。
道端にはタンポポ、ヒマワリ、コスモスなどの四季の花が咲き、耳を澄ませば小鳥や虫の鳴き声が聞こえてきました。娘の歩みに合わせてゆっくりと進みながら保育園のこと、友達のこと、花や生きもののことをよく話しました。
まぶしい太陽の日差しの下でアスファルトの匂いをかぐと、まるでパンドラの箱を開けたように、いくつもの夏が思い出されます。
すると私は「もう一度、子どもの頃に帰ってみたい」と思うのでした。
そして、それを実現するための扉は、すぐ近くにありました。娘と一緒に様々な体験をすることで、大人になって無くしていた喜びに再び出会うことができたのです。
過去を見つめ直すことは、未来を考えることにつながります。私は子どもの頃の様子を鮮明に思い出すことで、育児や現在の自分のあり方、将来の生き方について思いを巡らせました。

毎日の育児は「自分が世話をしなければならない」と思い詰めれば、大変なものになります。一方で楽しみを見つけられる人は、そこに幸せを得られます。
もしも「幸せ」という名の花があったなら、それは、展覧会で人々から注目を集めるようなものではないと思います。幸せの花は、いつも私たちが歩く道端に何気なく咲いているものだと思うのです。
しかし、多くの人がすぐそこにある幸せに気づかずに、猛スピードで走り抜けています。

ビジネスでは、取引などでWin ー Win(ウィン・ウィン)という言葉を使うことがあります。これは、自分も勝ち、相手も勝つという意味で、両者にメリットがある意味に使われます。
【楽育】では、Win ー Win(ウィン・ウィン)の親子関係を理想とし、大人と子どもが一緒に現在の幸せを感じることを習慣にします。
私たちは、子どもに素晴らしい体験を与えることで、自らが素晴らしい体験を得ることができるのです。

たとえば、子どもが絵を描くときのことです。普通は何かの見本を見せて、それを参考に子どもに描くように教えます。私も最初はそのようにしていました。しかしある日、興味本位で自分も描いてみることで、子どものある変化に気がつきました。私の描き方を見てマネをすることで、見本を見て1人で描く時よりも上手に出来るのです。
絵にこだわらずゲームでも、虫取りでも、子どものやっていることにちょっと手を貸すつもりが、親が子ども以上に熱中してしまうことがよくあります。大人が本気で取り組むことで、子どもの好奇心は高まります。
子どもは、親と一緒に何かを行なうのが楽しくてたまらないのです。

ある時、子どもに家で勉強を教えていて、不思議に感じたことがあります。それは、子どもの頃に自分が理解できなかったような問題が、娘もまた理解できずにいることでした。
理解の妨げになる箇所が分かれば、効果的に学習が進められます。
私は「もしも、子どもの頃の自分にこんな先生がいたらよかったな」と思う人を意識して、子どもに教えることで勉強を楽しんでいます。

小さな庭で不揃いな野菜を収穫する日、私たちは「自分で育てて良かった」という幸せを実感します。
私が会社を辞めて自宅で仕事を始めた時、多くの知人からこう言われました。
「どうして会社を設立して、人を雇わないんだ?」

当時は、ITベンチャーの起業ブームでした。
株式公開で巨万の富を得た社長が、毎日のようにマスコミに騒がれていました。
知人たちは、私にそんな夢を見るように勧めてくれたのです。
しかし、彼らは何も分かっていませんでした。

美しい花が、野にも山にも、道端にもあるように
幸せは、ここにあることを。

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