10歳までの楽育〜第3章の23

球根を植えても、すぐに花は咲かない。

〜「コミュニケーション力の種まき」


ある秋の日に黄色いチューリップの球根を植えました。すると、その翌朝には「もう、花が咲いた?」と娘に聞かれ、苦笑したことがあります。球根は最初に根が育ちます。栄養や水分を土から吸収し、全体を支えるためにしっかりと根を張ってから芽を出すのです。

童話「さるかに合戦」では、カニが《早く芽を出せ柿の種、出さぬとはさみでちょんぎるぞ〜 》と口づさみます。私たちもカニと同様に、子どもに教えたことが早く成果に結びつくように期待しがちです。
子どもが何かに失敗すると、励ますどころか「一度言ったら分かるでしょう」「それはこの前、教えたばかりでしょう」と責めてしまいます。
その結果、子どもは意欲の芽を摘まれて落ち込み、高圧的な態度で人の上に立とうとする悪い芽が育まれます。

現代では「子どものことが分からない」と嘆く親が多くいます。子どもは、反抗期になると学校であったことを親に話さなくなります。しかし、今や保育園や幼稚園の園児でもその傾向が伺えます。
幼児は本来、見たものや体験したことを喜んで誰かに話したがるものです。
しかし今「何を話していいのか分からない」という「コミュニケーション力」の低下が起きています。この原因はテレビやDVDの見過ぎなど、受動的な視聴習慣による影響が大きいと思われます。
「コミュニケーション力」は、積極的に相手を理解し、自分が理解されるように伝える力です。
【楽育】では子どもの「コミュニケーション力」は、家庭でゆっくりと育まれると考えています。
また、親が子どもを見守るためには、子どもとのコミュニケーションが不可欠です。
日常で私たちが子どもに教えていることの多くは、土の中で植物がゆっくり根を張るように身についてゆくもので、簡単には見えません。
「コミュニケーション力」もまた、すぐに身につくものではありません。長い時間をかけて、じっくり育てるつもりで働きかけを行なうように心がけます。

わが家では娘が保育園の頃から、就寝時間には両親もベッドで照明を落として一日の出来事を話す「おやすみトーク」を行なっています。朝起きてから保育園に行き、帰宅して寝るまでの出来事を話します。子どもの話には不完全なところが多いので、両親が「どんなことが楽しかったの?」「どうして、○○だったのかな?」と質問を挿みます。
こうすることで、子どもは自分の感情を言葉で表現できるようになります。
保育園の年長組にもなると、楽しかったことは自分から進んで話しますが、悲しいことや嫌な思い出は話したがりません。そこで「今日、不思議に思ったことはない?」というように質問します。
すると娘は一日のことを思い出し「○○ちゃんが、△△したのが不思議だった」と答えます。そこから話を広げてゆくと、誰かに嫌なことを言われたり、つらい体験をした話題に発展することがよくありました。

わが家の娘は一人っ子です。兄妹がいないだけに、家庭で相手の立場になって考える機会は滅多にありません。
そこで「コミュニケーション力」の向上のために私が考えたのが「ドール・プレイング・ゲーム」(D・P・G)です。
「ドール・プレイング」は、ドール(人形)とロールプレイング(役割演技)による造語です。普通の人形遊びと違うところは、楽しみながらも目的を持って行なうことです。
人形を介することの利点は、どのような役回りも恥ずかしがらずに、違和感なく演じられることです。

「ドール・プレイング・ゲーム」では、問題解決のスキルを遊びながら「コミュニケーション力」として身につけることができます。
問題解決の「ドール・プレイング・ゲーム」は、次のように行ないます。
(1)問題が起こる。
(2)みんなで(様々な方向から)考える。
(3)問題を解決する。
たとえば、悪役の人形を選んで、私がいじめっ子を演じます。ほかの人形に嫌がらせをすると、娘はいじめられた人形や、周りの人形の立場の言動を考えて演じます。
私は目的に合うようにストーリーを展開させたり、時には子どもに質問をしながら「コミュニケーション力」が身につくよう働きかけます。
楽しい、悲しい、嬉しいなど感情が表現できないストーリーでは、すぐに飽きてしまうので、前もって展開をイメージしておきます。
そして、アドリブで親子の想像力を発揮しながら遊びます。
「ドール・プレイング・ゲーム」では、自分がなりきる人形に感情を移入します。それによって、子どもが物事を客観的に分析したり、他人の気持ちになって考えることができるようになります。

「さるかに合戦」では、カニのおにぎりが欲しくて、サルは熱心に交渉します。
《種を植えれば大きくなって、柿がたくさんなってずっと得をするぞ》
おにぎりを柿の種と交換したカニは、サルの言葉を信じて世話をします。
すると、柿は見事に実をつけました。サルの言ったことは、本当だったのです。
物語では、この先に大きなトラブルが待っています。

もしサルとカニに「コミュニケーション力」があったなら、どうだったでしょうか?
カニがさるに種のお礼を言い、柿を一緒にとって食べようと提案するのです。
2匹が力を合わせて収穫し、真っ赤な夕焼け空をバックに
肩を並べて柿をほおばるシーンは、ありえない夢でしょうか?



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