10歳までの楽育〜 第1章の6

完璧な庭は、実現しない。
〜「育児にも、子どもにも完璧はない」


庭に花や緑を植えても、成育の条件が合わずにうまく育たないことがあります。
また、せっかく育っても強風や長雨で倒れ、日照りが続いて弱り、時には理由も分からず枯れてしまうことさえあります。
自然は気まぐれです。人が手を尽くしても、なかなか思いどおりにはなりません。
私たちにできることは失敗から何かを学び、次のシーズンに希望を託すことです。
思いどおりにならない自然の変化を受け入れることは、ガーデニングの喜びの一つです。


現代では、子どもに完璧な態度を求める親がいます。
しかし、陽の当たりによって花や葉の色が違って見えるように、子どもの姿は見る人よって評価が変わるものです。
また、子どもの行動には、その時々で「良かった」「悪かった」という偶然がつきものです。
たとえば
優しい子が、気の弱い子どもに見えることがあります。
元気いっぱいの子が、粗暴な子どもに見えることがあります。
面倒見のよい子が、強引な子どもに見えることがあります。
自己主張のできる子が、協調性のない子どもに見えることがあります。

見る人が悪い面を見ようとすれば、悪い子に思えるし
良い面を見ようとすれば、よい子に思えるものなのです。

【楽育】では、大人が偏ったまなざしで子どもを見ることなく、よい芽を見つけて伸ばすことを理想にしています。育児で自分の思い通りにならないことがあっても、それを楽しむ心のゆとりを忘れないようにします。

私の娘が赤ちゃんの頃に、ずっと夜泣きが続いていた時期がありました。妻が抱いても、あやしても全くのお手上げでした。
しだいに子守歌からも妻の緊張が伝わってきて、神経質な様子が分かりました。その緊迫した雰囲気が子どもに悪い影響を与えていると思うと、妻とは反対に私の方は冷静になれました。妻は自分の思い通りにならない理由を、生まれて間も無い赤ちゃんに求めていました。自分が思いつく限りのことを赤ちゃんにしたのに、結果が出ないことで焦っていたのです。
しかし、赤ちゃんは安心感を得られなければ、眠りにつくことができません。まず、親が気持ちを楽にしなければ、赤ちゃんの気持ちは落ち着かないのです。
そこで、私が妻に代わって娘をあやし、寝かしつけました。
赤ちゃんの気持ちを楽にするために思いついたのは、子守歌の編曲です。
おやすみの定番曲「ゆりかごの歌」をオペラ歌手風のアレンジ、演歌のアレンジ、ヒップホップ風アレンジで楽しみながら歌いました。音楽に合わせて体を揺らすテンポも変えてみました。「真夜中になんてバカなことを・・・」と自分を恥じる夜もありました。
けれども、その甲斐があって、娘はよく寝ついてくれました。

子どもに完璧な態度を求める親には、他人の評価ばかりを気にする人がいます。
また、子どもを自分の所有物であるように扱う様子を目にすることもあります。
そんな親たちは、子どもが自分の思い通りにならなければ腹を立て、その怒りを子どもに向けます。親の気持ちが理解できない子どもたちは、従うことに慣れるしかありません。
大人に従順であれば「よい子」であるという思い込みが、子どもの自由を制限します。
「早くしなさい。きちんとしなさい。仲良くしなさい、礼儀正しくしなさい」。
子どもが自分で考える間もないほど、矢継ぎ早に親が指示を出し、自分の意向に従うように促す親もいます。
子どもに完璧な態度を求めるは、枠にはめることです。
枠にはめることは、子どもの「思考力」や「好奇心」という芽を摘むことになります。
植物は芽を摘まれると、別の場所から新芽を出そうとします。
枠にはめられた子どもが新たに出す芽は「無気力」「無関心」なのかもしれません。

私の庭にある木々は、きちんと樹型が揃っていません。だからこそ、そこに伸び伸びとした自然の息吹が感じられます。
私たちはいつ頃から、あらゆるものに工場で作られた規格品のような完璧さを求め、
不完全であることの素晴らしさを忘れてしまったのでしょうか?
子どもは大人とは違う存在です。自ら行動し、考え、学んで、ゆっくり成長するところ
に素晴らしさがあります。

親が心にゆとりを持って子どもに接すれば、子どもは安心します。
心に安心が積み重なれば、安定になります。
幼児期の子どもにとって大切なものとは、何でしょうか?
それは、これからの成長を支える根となる「心の安定」だと思います。
親が育児を楽しむことは、子どもに「心の安定」を与えます。
時には子どものことを「自分のものではない」「自分とは違う」と客観的に見てやる余裕も必要です。
思いどおりにならないことを自然に受け入れられるようになった時、私たちはきっと昨日よりも寛大になれるに違いありません。

かつてアメリカ、バーモント州の町はずれに、世界中のガーデナーから愛される女性が、自然の暮らしを営んでいました。
絵本画家、園芸家の《ターシャ・テューダー》です。
彼女は自分が所有していた広大なガーデンについて次のように語っていました。
《この場所は自然から預かって恵みを受けています。これからは、庭を少しづつ自然に帰していくつもりです》。



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