10歳までの楽育〜第4章の16

枯れた花や葉は、豊かな土となる。

〜「子どもの未来を信じる習慣」


美しく咲いていた花々も、秋が深まるとその役目を終えたかのように枯れてゆきます。
私は落ち葉や枯れた花、枝などを集めて庭の隅に山積みしておきます。すると微生物がそれらをゆっくり分解して、1年後には栄養分を含んだ「たい肥」という土に変わります。
「たい肥」を花壇に入れることによって、土壌に微生物やミミズが増えて栄養分を蓄え、病害虫菌の発生を抑制することができます。また、水もちと通気性がよく、植物にとって最適な土壌となるのです。
「たい肥」が入るたびに、花壇の土は植物にとって一歩づつ理想に近づきます。

土をつくり、種をまき、水やりや手入れをしたことのすべては、庭の一部となって積み重なってゆくのです。
私たちが育児で環境を整え、働きかけ、そして習慣にしたこともまた、すべてが子どもの成長の糧になりゆくものだと思います。

しかし、時には「自分の育児が、本当にこの子のためになっているのだろうか?」と疑問に思うことがあります。せっかく教えたことを子どもが忘れてしまったり、ここ一番で実力を発揮できない時など、突然に不安が襲ってきます。
「こんなはずではなかった」「今までやって来たことは、何だったのだろう」と。

そんな時、思い出す言葉があります。それは、アップル社のCEOであるスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った自伝的なスピーチの内容です。
1947年にオレゴン州のリード大学に進学したジョブズは、わずか6ヶ月で退学を決意します。そして、友だちの部屋の床で寝て、コーラの瓶を集めて日々の糧を得るような暮らしを始めます。
そんなある日、ジョブズはふとしたことからカリグラフィ(西洋の書道)に興味を持ち、学ぶことに夢中になります。それは生きていく上で何も役に立ちそうにないものでした。
しかし、後に世界初のパーソナル・コンピュータ「マッキントッシュ」を開発する際にその経験は生かされます。
もし、彼がカリグラフィーを学んでいなければ、現在のパソコンに美しいフォントは搭載されていなかったでしょう。カリグラフィーを学んだ経験という「点」と、パーソナルコンピュータの開発という「点」は、実は線で結ばれていたのです。

ジョブズは、こう語ります。
《将来を見据えて「点」と「点」を繋げることはできません。自分たちにできることは、過去を振り返ってそれらを繋げることだけなのです。だから、今はただの「点」でしかないものが、自分の未来の「点」に何かの形で繋がってゆくことを信じることこそが大切なのです》。

私にも過去を振り返って、あの時の点が現在に続いていると思える出来事がありました。
それは、小学4年生の時のことです。当時の私は、学校で最も恐ろしい暴力教師のクラスに在籍していました。
その人は、40センチほどの長さの棒をいつも携帯していました。生徒が上履きで芝生に入ったり、ふざけた行動をとると、それで生徒の背中やお尻をひっぱたくためです。
ある日、イソップ物語についてクラスで話し合う授業がありました。
その内容は、《ある時、ヤギに助けられたオオカミが、今度はヤギが井戸に落ちているところを見ても、助けずに行ってしまった》というものでした。
クラスの皆が、オオカミの行動に対して否定的な意見を発表しました。私は話を聞いているうちに、ちょっとオオカミことが気の毒になりました。人前で自分の意見を言ったことなどなかったのですが、私は恐る恐る手を挙げてオオカミを弁護しました。
「オオカミは、自分だけでヤギを助けられず、仲間を呼びに言ったのかもしれません」。
すると、私の意見を否定するために、教室のあちこちから手が上がりました。それはまるで、まっすぐに伸びた槍のようにも思えました。
私の発表に次々に非難の意見が浴びせられると、もう何も考えられなくなりました。
その時「バシ!」と大きな音がしました。先生が思いっきり棒で机を叩いたのです。
私は震え上がりました。先生が怒っていると思ったのです。
しかし、信じられないことに先生は笑っていました。
「素晴らしい!素晴らしいぞ!」と机をバンバンと棒で叩いて私を褒めてくれたのです。
先生に褒められた思い出は、その時だけしかありませんでした。
けれども、たった一度のことが私の価値観に大きな影響を与える点となり、現在の自分と太い線で繋がっているのです。

日々の育児は、小さな点でしかありません。努力してもすぐに結果に現れない場合が多いのです。また、大切な成長は、今はまだ目に見えないものが多いのです。
私たちが子どものために出来ることは、環境を作り、働きかけ、そして習慣にすることが未来の子どものためになると強く信じることです。
自らの価値観を信じ、子どもが自立する力を信じることです。
何かを信じることは、何かを犠牲にすることではありません。
子どものために考えて行動し、共に「今」を楽しむことが【楽育】なのです。

子どもが寝静まった後で夜空を見上げると、そこに無数の星が点在していました。
私たちが子どものためにできることは、無限にあるように思います。
私はそこから何を選ぶかが、子どもたちの未来をつくると信じています。
また、過去に私たちの両親や祖父母が選んでくれたことが
今の自分の一部になっているような気がします。
それはずっと昔から現在まで続き、これからも続くのでしょう。

そして、いつかは土に還る存在である私たちもまた
ただ一つの点であるように思うのです。



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