子どもの未来を信じる習慣

Filed Under (4-16.子どもの未来を信じる習慣) by 秋月 秀一 on 31-03-2010

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第4章の16

枯れた花や葉は、豊かな土となる。

〜「子どもの未来を信じる習慣」


美しく咲いていた花々も、秋が深まるとその役目を終えたかのように枯れてゆきます。
私は落ち葉や枯れた花、枝などを集めて庭の隅に山積みしておきます。すると微生物がそれらをゆっくり分解して、1年後には栄養分を含んだ「たい肥」という土に変わります。
「たい肥」を花壇に入れることによって、土壌に微生物やミミズが増えて栄養分を蓄え、病害虫菌の発生を抑制することができます。また、水もちと通気性がよく、植物にとって最適な土壌となるのです。
「たい肥」が入るたびに、花壇の土は植物にとって一歩づつ理想に近づきます。

土をつくり、種をまき、水やりや手入れをしたことのすべては、庭の一部となって積み重なってゆくのです。
私たちが育児で環境を整え、働きかけ、そして習慣にしたこともまた、すべてが子どもの成長の糧になりゆくものだと思います。

しかし、時には「自分の育児が、本当にこの子のためになっているのだろうか?」と疑問に思うことがあります。せっかく教えたことを子どもが忘れてしまったり、ここ一番で実力を発揮できない時など、突然に不安が襲ってきます。
「こんなはずではなかった」「今までやって来たことは、何だったのだろう」と。

そんな時、思い出す言葉があります。それは、アップル社のCEOであるスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行った自伝的なスピーチの内容です。
1947年にオレゴン州のリード大学に進学したジョブズは、わずか6ヶ月で退学を決意します。そして、友だちの部屋の床で寝て、コーラの瓶を集めて日々の糧を得るような暮らしを始めます。
そんなある日、ジョブズはふとしたことからカリグラフィ(西洋の書道)に興味を持ち、学ぶことに夢中になります。それは生きていく上で何も役に立ちそうにないものでした。
しかし、後に世界初のパーソナル・コンピュータ「マッキントッシュ」を開発する際にその経験は生かされます。
もし、彼がカリグラフィーを学んでいなければ、現在のパソコンに美しいフォントは搭載されていなかったでしょう。カリグラフィーを学んだ経験という「点」と、パーソナルコンピュータの開発という「点」は、実は線で結ばれていたのです。

ジョブズは、こう語ります。
《将来を見据えて「点」と「点」を繋げることはできません。自分たちにできることは、過去を振り返ってそれらを繋げることだけなのです。だから、今はただの「点」でしかないものが、自分の未来の「点」に何かの形で繋がってゆくことを信じることこそが大切なのです》。

私にも過去を振り返って、あの時の点が現在に続いていると思える出来事がありました。
それは、小学4年生の時のことです。当時の私は、学校で最も恐ろしい暴力教師のクラスに在籍していました。
その人は、40センチほどの長さの棒をいつも携帯していました。生徒が上履きで芝生に入ったり、ふざけた行動をとると、それで生徒の背中やお尻をひっぱたくためです。
ある日、イソップ物語についてクラスで話し合う授業がありました。
その内容は、《ある時、ヤギに助けられたオオカミが、今度はヤギが井戸に落ちているところを見ても、助けずに行ってしまった》というものでした。
クラスの皆が、オオカミの行動に対して否定的な意見を発表しました。私は話を聞いているうちに、ちょっとオオカミことが気の毒になりました。人前で自分の意見を言ったことなどなかったのですが、私は恐る恐る手を挙げてオオカミを弁護しました。
「オオカミは、自分だけでヤギを助けられず、仲間を呼びに言ったのかもしれません」。
すると、私の意見を否定するために、教室のあちこちから手が上がりました。それはまるで、まっすぐに伸びた槍のようにも思えました。
私の発表に次々に非難の意見が浴びせられると、もう何も考えられなくなりました。
その時「バシ!」と大きな音がしました。先生が思いっきり棒で机を叩いたのです。
私は震え上がりました。先生が怒っていると思ったのです。
しかし、信じられないことに先生は笑っていました。
「素晴らしい!素晴らしいぞ!」と机をバンバンと棒で叩いて私を褒めてくれたのです。
先生に褒められた思い出は、その時だけしかありませんでした。
けれども、たった一度のことが私の価値観に大きな影響を与える点となり、現在の自分と太い線で繋がっているのです。

日々の育児は、小さな点でしかありません。努力してもすぐに結果に現れない場合が多いのです。また、大切な成長は、今はまだ目に見えないものが多いのです。
私たちが子どものために出来ることは、環境を作り、働きかけ、そして習慣にすることが未来の子どものためになると強く信じることです。
自らの価値観を信じ、子どもが自立する力を信じることです。
何かを信じることは、何かを犠牲にすることではありません。
子どものために考えて行動し、共に「今」を楽しむことが【楽育】なのです。

子どもが寝静まった後で夜空を見上げると、そこに無数の星が点在していました。
私たちが子どものためにできることは、無限にあるように思います。
私はそこから何を選ぶかが、子どもたちの未来をつくると信じています。
また、過去に私たちの両親や祖父母が選んでくれたことが
今の自分の一部になっているような気がします。
それはずっと昔から現在まで続き、これからも続くのでしょう。

そして、いつかは土に還る存在である私たちもまた
ただ一つの点であるように思うのです。

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子どもと幸せを感じる習慣

Filed Under (4-15.子どもと幸せを感じる習慣) by 秋月 秀一 on 30-03-2010

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第4章の15

自分で育てるから、収穫が楽しい。

〜「子どもと幸せを感じる習慣」


自宅の庭やベランダで、ちょっとした野菜を育てる家庭菜園がブームになっています。
種と土、肥料などを買って自分で育てるよりも、スーパーで野菜を買った方が安くつきます。また、毎日水やりをしたり、雑草を抜く、枝を整理するなどの手間もかかります。
それにもかかわらず、なぜ自分の手で野菜を育てるのでしょうか?
家庭菜園では、収穫物だけを求めて種をまくわけではありません。そこには、自分の手で育てることの喜びや楽しみがあります。
収穫はもちろん、育てる過程において植物から与えられる恵みを「幸せ」として感じているのです。

娘が保育園に通っていた時のことです。朝夕の送迎は、軽い運動をかねて私が徒歩で行なっていました。私たちの団地から保育園までは徒歩で15分程度の距離でしたが、車で幼児を送迎している人がほとんどでした。
歩いて団地の坂道を上がる私たちの姿を見ると「大変ですねぇ」と、よく声をかけられました。
しかし、大変なことは何もありませんでした。保育園と家との往復は、私にとって素晴らしい時間でした。
道端にはタンポポ、ヒマワリ、コスモスなどの四季の花が咲き、耳を澄ませば小鳥や虫の鳴き声が聞こえてきました。娘の歩みに合わせてゆっくりと進みながら保育園のこと、友達のこと、花や生きもののことをよく話しました。
まぶしい太陽の日差しの下でアスファルトの匂いをかぐと、まるでパンドラの箱を開けたように、いくつもの夏が思い出されます。
すると私は「もう一度、子どもの頃に帰ってみたい」と思うのでした。
そして、それを実現するための扉は、すぐ近くにありました。娘と一緒に様々な体験をすることで、大人になって無くしていた喜びに再び出会うことができたのです。
過去を見つめ直すことは、未来を考えることにつながります。私は子どもの頃の様子を鮮明に思い出すことで、育児や現在の自分のあり方、将来の生き方について思いを巡らせました。

毎日の育児は「自分が世話をしなければならない」と思い詰めれば、大変なものになります。一方で楽しみを見つけられる人は、そこに幸せを得られます。
もしも「幸せ」という名の花があったなら、それは、展覧会で人々から注目を集めるようなものではないと思います。幸せの花は、いつも私たちが歩く道端に何気なく咲いているものだと思うのです。
しかし、多くの人がすぐそこにある幸せに気づかずに、猛スピードで走り抜けています。

ビジネスでは、取引などでWin ー Win(ウィン・ウィン)という言葉を使うことがあります。これは、自分も勝ち、相手も勝つという意味で、両者にメリットがある意味に使われます。
【楽育】では、Win ー Win(ウィン・ウィン)の親子関係を理想とし、大人と子どもが一緒に現在の幸せを感じることを習慣にします。
私たちは、子どもに素晴らしい体験を与えることで、自らが素晴らしい体験を得ることができるのです。

たとえば、子どもが絵を描くときのことです。普通は何かの見本を見せて、それを参考に子どもに描くように教えます。私も最初はそのようにしていました。しかしある日、興味本位で自分も描いてみることで、子どものある変化に気がつきました。私の描き方を見てマネをすることで、見本を見て1人で描く時よりも上手に出来るのです。
絵にこだわらずゲームでも、虫取りでも、子どものやっていることにちょっと手を貸すつもりが、親が子ども以上に熱中してしまうことがよくあります。大人が本気で取り組むことで、子どもの好奇心は高まります。
子どもは、親と一緒に何かを行なうのが楽しくてたまらないのです。

ある時、子どもに家で勉強を教えていて、不思議に感じたことがあります。それは、子どもの頃に自分が理解できなかったような問題が、娘もまた理解できずにいることでした。
理解の妨げになる箇所が分かれば、効果的に学習が進められます。
私は「もしも、子どもの頃の自分にこんな先生がいたらよかったな」と思う人を意識して、子どもに教えることで勉強を楽しんでいます。

小さな庭で不揃いな野菜を収穫する日、私たちは「自分で育てて良かった」という幸せを実感します。
私が会社を辞めて自宅で仕事を始めた時、多くの知人からこう言われました。
「どうして会社を設立して、人を雇わないんだ?」

当時は、ITベンチャーの起業ブームでした。
株式公開で巨万の富を得た社長が、毎日のようにマスコミに騒がれていました。
知人たちは、私にそんな夢を見るように勧めてくれたのです。
しかし、彼らは何も分かっていませんでした。

美しい花が、野にも山にも、道端にもあるように
幸せは、ここにあることを。

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子どもを追いつめない習慣

Filed Under (4-14.子どもを追いつめない習慣) by 秋月 秀一 on 29-03-2010

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第4章の14

風通しが悪いと病気になる。

〜「子どもを追いつめない習慣」


園芸店で手に取ったラベンダー苗を、植える場所も考えずに衝動買いしてしまいました。持ち帰ってみると案の定、適当な場所が見つからず、仕方なく狭い場所へ植えました。
すると株が蒸れて、買ってきた苗ばかりか隣の苗までも傷めてしまいました。
株間を詰めすぎると風通しが悪くなり、病気が発生しやすい植物もあります。
大きくなった時のことを考えて、ゆとりを持たせて植えるべきでした。

現代では、子どもたちを取り巻く世界が狭く窮屈になっています。
保育園や幼稚園はどこも満員で、保育士の負担は大変なものになっています。
ある時、娘から保育園の先生の話題が出ないことが気になって、理由を聞いてみました。
すると、先生に話しかけても「ああ、そうなの」と、あまり相手にしてもらえていないことが分かりました。
また、子ども同士の関係にも難しい面があるようです。娘はいろんな人と遊びたいようですが、一人の子と仲良しになると、束縛されて他の子と遊ばせてくれないことを悩んでいました。また、女の子は2人だけの世界をつくりたがり、2人1組になると他の子を仲間はずれにしたがる傾向があるようでした。

かつては、多くの家庭に子どもの話をゆっくり聞いてくれる祖父母の存在が在りました。
しかし現代の核家族では、祖父母は同居していません。また、母親はいつも忙しく、父親は帰宅が遅くて話しが全く出来ないことも珍しくありません。
子どもたちが疲れているように見えるのは、心にゆとりがないことや対人ストレスが原因であるように思います。

幼い頃から親の期待を背負うことが、子どものストレスになる場合もあります。
まだ幼稚園だというのに遅くまで学習塾に通う子や、習い事が多すぎてほかの子と遊ぶ暇がない子も多くいます。
最近は母親だけでなく父親も育児に関心を持つ人が増えています。以前は、子どもの教育といえば母親の役目でした。父親はやさしく見守る立場にあることで、そのバランスが保たれていたのです。しかし、最近では父親までが教育熱心になることが珍しくなく、両親からプレッシャーを受けて子どもは追いつめられます。

【楽育】では、大人が子どもの気持ちを理解し、追いつめないことを習慣にします。
そのためには、子どもの話をしっかり聞いて、まずは安心させてやることが必要です。
わが家で子どもを追いつめないために大事していることは、夫婦がお互いの役割を認識することです。
たとえば、子どもが何か素晴らしいことをした時には、ふたりから思いきりほめてやります。反対に子どもを叱らなければならない時は「叱る役」と「話を聞く役」を両親のいづれかが担うように心がけています。
親が子どもを叱る時「2度としないように」という思いから、感情的になることは珍しくありません。しかし、叱られた子どもは追いつめられると頭の中が真っ白になり、思考がが停止してしまいます。
すると「何が原因で叱られているのか」「これからどうすれば良いのか」ということを冷静に考えることができません。「叱られた」という印象だけが子どもの心に刻まれると、次は別の問題が起こります。
それは「親にバレなければいい」という気持ちが芽生えることです。
間違った価値観を植え付けないためにも、子どもを追い込まないように誰かがフォローしてやらねばなりません。

わが家では、父親に叱られた娘が泣きながら母親のもとへ行って、話を聞いてもらうことがよくあります。母親は子どもを抱いたまま「次は気をつけようね」と優しく声をかけています。
その立場が逆になる場合もあります。ある夜、娘がなかなか寝つけず母親をわざと困らせる態度をとったことがありました。母親に叱られた娘は、泣きながら私のもとへやってきました。私は子どもから話を聞きながら、自分はどういう気持ちだったのか、また相手はどういう気持ちだったのかということを娘と話しました。そして、自分で納得ができたら「一緒に行ってあげるから」と母親のもとへ謝りに行くように勧めました。

本来ならば、このような役目は祖父母が担っていたものだと思います。核家族の家庭では、誰かが子どもの味方になり、支えてやることが必要です。
私は子どもを叱る時でも、できるだけ心にゆとりを持つように心がけています。
また、子どもを従わせるのではなく、何が子どものためになるかを考えることを忘れないように心がけています。
そのためには、どうすれば子どもが冷静に思考できるか、どうやって許すかと言うことまで考えながら、叱ることもあります。

経営の神様 松下幸之助は、こう言いました。
《叱ってくれる人を持つことは、大きな幸福である。》

叱られて真っ赤な顔をした子どもを前に
私はうちわで風を送るように、そっと胸の中からエールを送ります。
「止まるな、いじけるな、逃げるな、素直になれ、冷静に考えろ」。

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子どもを尊重する習慣

Filed Under (4-13.子どもを尊重する習慣) by 秋月 秀一 on 26-03-2010

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第4章の13

小さな芽を踏まないよう気をつける。

〜「子どもを尊重する習慣」


庭で草抜きや剪定をする時、思いがけず小さな芽を踏んでしまい「しまった」と思うことがあります。最初は気をつけていたつもりが、他の事に気を取られていました。気がつけば、土から顔を出したばかりの小さな芽は、無残につぶれていました。ちょっとした不注意で、大きく育って花を咲かせる機会を奪ってしまいました。

育児においても、親が子どもの成長の芽を潰すことがあります。
子どもが大事にしている小さな価値観や誇りの芽を、最も身近な存在である親が踏みにじってしまうのです。
【楽育】では、子どもの価値観や誇りを大切にし、親が尊重することを習慣にします。
自分自身の価値観や行動に誇りを持つことは、子どもの成長にとって不可欠です。また、親がそれを大切に扱うことがよい芽を伸ばすことになります。

よく私が失敗するのは、他人から子どもをほめられる時です。
たとえば、参観日で知人の保護者から「よく発表できていましたね」など我が子をほめてもらった時に、つい謙遜して「元気がいいのだけが取り柄で・・・」などと、余計なことを口にしてしまいます。
私たちは「謙虚さ」を重視する国民性のためか、人から評価されても素直に受け取れない姿勢が身についています。しかし、このことは子どもにはとうてい理解できません。
「家ではほめてくれるのに、外に出ると全く違う」というように親の態度に子どもは矛盾を感じます。そのような事が繰り返されれば子どもの誇りは傷つき、親に対して不信感を抱くようになります。
そして、相手によって態度を変えたり、気分よって態度が変わるという悪い習慣が芽生えてきます。

時には、親の勝手な思い込みや決めつけによって、子どもの誇りが傷ついてしまうこともあります。
近所の幼児が、縄跳びをする小学生のマネをしようとした時のことです。よちよち歩き始めたばかりの子が飛べるはずもないのですが、必死に両手を広げて縄跳びに近づきます。すると、母親が「まだ、早いよ。危ないからやめて」と小さな子どもを制しました。
子どもに縄跳びを与えても親が近くで見ている限りは、それほど危険はありません。ちょっとやらせてみれば、自分の力量を知ることができるでしょう。
しかし、親が介入することで、新しいことにチャレンジする意欲の芽や、好奇心の芽が摘まれます。

人前でこどもを叱ることも、子どもの誇りを傷つけることになります。
娘の幼稚園では降園時に、保護者と園児が先生を囲んで話を聞きます。そこで自分の子どもが服を汚しているのを見た母親が「汚いわね、何をしたの!」と皆の前で一喝しました。母親に会えて嬉しそうだった子どもの表情は強張り、ついには泣き出しました。

実は私には、サラリーマン時代に似たような苦い経験があります。広告制作の納期に追われて、数人で会社に泊まり込んだ翌朝のことです。皆で眠い目をこすりながらも、仕事に取り組んでいました。
すると、一人の新入社員が出社するなり、コーヒーを片手に新聞を広げていたのが目に入りました。私は思わず「何やってんだ!」と、怒鳴りつけていました。
社員の大半は私の行動に好意的でした。しかし、普段から私のことを最も気にかけてくれる先輩の言葉は違っていました。
「後輩を育てる事を考えろ。本人はやる気をなくしてるぞ」。
私は新入社員の行動を正したつもりが、その人の気持ちや誇りのことを全く考えずに皆の前で恥をかかせ、傷つけてしまったのです。
このとき私は「褒めるときは人前で、叱るときは人のいないところで」ということを身にしみて学びました。

子どもの誇りを育むために、私が意識して行なうのは「任せる」ということです。
少々難しいと思える手伝いを、積極的に子どもにやらせてみるように心がけています。
わが家の「はじめてのおつかい」は、5才の娘が隣の家まで回覧板を運んだことでした。
娘が1人で玄関を出て帰るまでは、実際には1分ほどでした。
しかし、ずいぶん長く感じられました。
耳を澄ませていると、タッタッと急いで走る足音が聞こえてきました。
私と妻は、扉を開けて娘が帰ってくるのを玄関で待ちました。
そして、無事に帰ってきた娘を拍手で迎えてやりました。

自分に任せられた仕事をやり終えたその笑顔には、
まぶしいくらいに「誇り」という大輪が咲いていました。

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子どものために選択する習慣

Filed Under (4-12.子どものために選択する習慣) by 秋月 秀一 on 25-03-2010

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第4章の12

芽かきをしなければ、小芋ばかりができる。

〜「子どものために選択する習慣」


ジャガイモを上手に育てるには「芽かき」が欠かせません。種芋を土に植えると、そこからたくさんの芽が出てきます。「芽かき」とは、その中から1、2本を残して不要な芽をつむ作業のことです。「芽かき」をしない場合は、イモの数は増えますが栄養が分散します。その結果、収穫するイモがどれも小粒になってしまいます。
「芽かき」を行なうことは、大きく育てるイモだけを選ぶことです。

最近のビジネスでは「フォーカス」という言葉がよく使われるようになりました。もとの意味はカメラでピントを合わせるものですが、ビジネスでは「本当に必要なものだけに絞る」という意味で使われます。
ITビジネスのスピード感覚は「ドッグイヤー」と言われます。これは普通は7年で変化するような事が、わずか1年で起こる事のたとえです。
子どもの成長はたいへん早く、適切な時期に適切なことを学ばなければ、機を逃してしまいます。
【楽育】では、成長する芽を残して不要な芽を間引くように、親が子どものために選択することを習慣にします。

娘の幼稚園では、4歳の頃からピアノ、バレエ、硬筆、水泳、など様々な習い事に挑戦した友だちがいました。けれども、どれも長続きがしませんでした。それを知った同級生の母親の中には「あの子は辛抱が足りない」とか「何をさせても根気がない」と陰口を言う人もいました。
習い事は一度はじめると、すぐにやめさせることが困難です。なぜならば、昔から『石の上にも3年』と言われるように、辛抱できる人が尊敬される一方で、すぐやめる人は軽視されるからです。
しかし、本当に重要な事は他人からの評価ではありません。何が子どものために最善かという判断をするためには、いろいろと試して見ることも必要です。本人に合わなければ迅速に退くという判断は、決して間違いではないと思います。
私は幼い頃に多くの習い事に通った経験があります。しかし、自分のために身に付いたと思えるものは一つもありませんでした。当時の私は何に対してもやる気や興味がわかず、ただ時間を浪費していたのです。
そこでわが家では、娘に習い事をさせるならば、本人が興味を持っていることを条件にしました。そして、体験会に参加したり人から話を聞いて、幼稚園の年長から始めたのが「ジャズダンス」でした。
娘は以前から歌ったり、踊ったりすることが大好きでした。
ジャズダンスを見学に行くと飛び入りでレッスンに参加し、フルタイムを受講しました。そして、終わった後の表情には「やってみたい」という意欲が溢れていました。
ジャズダンスのレッスンでは先生が教えることを理解して、すぐに表現することが求められます。普段から人の言うことを理解をするのが苦手で、時間を要する我が子には、難しいように思えました。
しかし、私は好きなことがそれに勝ることを信じて、娘を応援することにしました。
知人の中には「ダンスを習って何になるの?」と不思議そうにする人もいました。
けれども、私は自分が選んだことに迷いは感じませんでした。
「知識」や「技能」は、本人のやる気次第でいくらでも身につけられます。しかし、物事に取り組む意欲は、簡単に身につけることができません。
最初にまず、子どもの意欲の芽を伸ばすことを考えたのです。
私が期待どおり、ダンスを始めてから娘の積極的な面は、ますます際立ってきました。
初対面の人たちの前で、物怖じすることなく自分の考えを発表したり、質問する様子を見ていると、良い芽がぐんぐんと伸び始めたと感じました。
そして、私が何より嬉しかった収穫は、生き生きとダンスを楽しむ娘の姿でした。

わが家の家庭学習は、子どもが何を苦手としているのかを見つけることに力を注ぎます。私が見たところ、娘が勉強している内容の約9割は既に理解できていました。毎日、理解できているところを繰り返し学習することに多大な時間を費やしていたのです。
娘は机に向かうという行為そのものが、勉強であると信じて疑いませんでした。しかし、既に理解できている勉強に多くの時間をかけても無意味です。
そこで私は、間違った箇所だけを集めて問題を作りました。また、「できるところはもう、やらなくていいよ。もっと知らないことを一緒に勉強しよう」と言いました。
そして、学校の教科書にこだわらず、新聞や雑誌、舞台鑑賞など様々なものを教材にして
知的好奇心を広げられるように心がけています。

どの職場でも自分の仕事内容や成果は棚上げにして「私は頑張ってる。精一杯やっています」と主張する人がいます。また「世の中には無駄なことなどない」と言う人もいます。
しかし、子どもたちが何を学び、どの道を進むかによって行き先は変わり、その未来も変わるはずです。

世界的に有名なパソコンメーカー、デル社の創業者マイケル・デルは、次のように語っています。
《することを決めるのは簡単だ。難しいのは、しないことを決めることだ》

日々の暮らしの中で子どもの様子をよく見て、
最善の道を選んで導いてやることは、
私たち親にしかできないのではないでしょうか。

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子どもに考えさせる習慣

Filed Under (4-11.子どもに考えさせる習慣) by 秋月 秀一 on 24-03-2010

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第4章の11

手をかけすぎると、不自然になる。

〜子どもに考えさせる習慣


樹木の枝を美しく整えたり、陽当たりや風通しをよくするために行なう作業が剪定です。
剪定を行なう際には、仕上がりをよく考えてイメージしておくことが大事です。私の場合は形を整えてやるつもりが、ついでに刈り込みすぎてしまいます。その結果、樹形が直線的で不自然になってしまい「やりすぎた」と後悔します。

育児では、無意識のうちに親が子どもに手をかけ過ぎることがあります。子どもの世話役のようになることも珍しくありません。
たとえば、わが家では何か探し物をする時、娘が「ママー!」と大声で呼びます。すると母親がやって来て「どうしたの?」と一緒に探し物を手伝います。なかなか見つからないと、そのうち娘がほかの遊びを始めます。
結局は母親が一人で探すようになってしまいます。

幼稚園へ通園する前には、子どもが自分でかばん、帽子、ハンカチとティッシュなどを用意しなければなりません。しかし、出発の時間が迫ると、母親が慌てて準備を整えていました。急がないと登園が遅れるので、親がやった方が早いのです。
けれども、これが習慣になると、子どもは母親が準備してくれることを期待して、遊んで過ごすようになります。

【楽育】は、子どもが自分にできることを少しづつ増やしてやることで自立を促します。同時に、子どもが自分で考える習慣を育みます。

私が子どもの探し物を手伝う時は、最初に自分で探してみたところを聞くようにしています。次に「○○は探してみた?」とヒントを与えます。それでも見つからない時は一緒に探しながら「最後に使ったときの様子を思い出してみて」「いつも置いておく場所になぜないのかな?」など様々な質問をします。
朝の用意が出来ない時は「もう、幼稚園にいく準備はできたかな?」と声をかけ、何を準備すべきなのかを子どもに思い出させます。
また「遅れたらどうなるのかな?」「遅れないためには、どうしたらいいのかな?」と聞いてみます。
質問することで、今自分が何をすべきか、過去にどうするべきだったのかを子どもに考えさせるためです。

最近は感覚的に言動する子どもが増えているように思います。
たとえば「ウザい」「キモい」「ムカツク」など、相手を一言で拒絶するような言葉を、近所の子供たちがよく使っています。私が「どうして、そう思うのかな?」と聞いてみると「ウザいから、ウザい」「特に意味なんかねーし」と言います。子供たちは「考える」ことについて拒絶感を持っているようでした。
いま人口知能(AI)の開発が注目を集めています。現在のコンピュータは、まずデータベースを作成し、それを基に人が答えを得るのが基本です。一方で人口知能は、ある事実や知識をもとに新しい結論を導き出す「推論」と「学習」を行なうことができるようになります。
現在、人間がパソコンで行なっている業務の多くは、やがて人の手を必要としなくなる可能性があります。
それは、産業化社会において工場から人が消えていった理由と同じです。人の手を省いて機械にできるようにすることが「効率化」になるからです。
未来の職場には2種類の人がいるかも知れません。
自ら考えてコンピュータを使う人と、コンピュータから指示されて使われる人です。
自分で考ることが出来ない人は、後者になる他はありません。

わが家では子どもと一緒に何かを考えてみようと思った時に、よく付箋を使います。
付箋に考えたことを書き出していき、1枚の用紙の上に分類してまとめることを、子どもの前でやって見せます。
娘が小学校に入って半年が経った頃のことです。皆がクラスの雰囲気に慣れると同時に、
授業中の問題が多くなってきたという話を娘から聞きました。
そこで「勝手に話をする」「椅子の上に立つ」「先生の声が聞こえない」「みんなの休み時間がなくなる」など問題になっていることを娘が付箋に書きました。
項目が書かれた十数枚の付箋を、私と娘で3つのグループに分けてタイトルを付けました。各グループには「みんなの迷惑になること」「先生の迷惑になること」「危ないこと」のタイトルがつきました。
そして、3つのグループから1つの結論を考えました。娘が口にした結論は「授業中は、人のじゃまになることをしてはいけない」でした。

子どもに何かを考えさせる時に大切なことは、親が決して焦らないことです。時間に追われていては、決して相手に真意は伝わりません。
忙しい日常の中で「答えを早く教えたい」と思う気持ちはよく分かります。しかし、近道を急ぐよりも、日々の生活の中で時間をかけて考えさせる習慣をつける方が、長期的には子どもためになります。

天才と言われる人は、いつも考える習慣を持っていました。
万有引力を発見したイギリスのニュートンは、
数学や物理学の分野で数々の発見をした秘訣について、次ように語ったと言われます。
《いつもその問題を考え続けていたからです》。

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