楽育のススメ

Filed Under (楽育.comについて) by 秋月 秀一 on 16-02-2010

楽育のススメ


◇【楽育.com】について
楽育.comは、SOHO(自宅)で仕事をしながら育児を行なう父親が書いた「実用エッセイ&日記」です。
現代には3つのタイプの親が存在します。
(1)子どもの芽を伸ばす親。
(2)子どもの芽を摘みとる親。
(3)何もしない親。

いじめ、学級崩壊、不登校、暴力、虐待など、現代の子どもたちは様々な問題を抱えています。
これらの原因は、家庭環境によるところが大きいと思われます。
【楽育】は、家庭で毎日を楽しみながら、親子が共に成長することを目標にしています。
子どもの見栄えを良くするための育児ではなく、「こころ」や「活力」を育むことを提案します。


◇【楽育.com】の目的
保育所での長時間保育、幼児期から習い事に忙しい子どもたち、現代では育児の「外注化」が普通に行われています。
効率を求めるのではなく、子どものために時間をかけることが大切であることに、多くの人は気づいていません。
育児には、親でなければできないことがあります。
教育には、家でなければできないことがあります。
「楽育のススメ」では、「子どもと一緒に様々な体験ができた」「親子で人間関係が広がった」
「毎日が充実していて楽しい」など
育児を通じて自らも成長することの喜びを伝えます。


◇【楽育.com】の概要
【楽育】では、育児・自然・IT社会の3つをリンクして考えます。
土を作り、種をまき、水やりをして、花や緑を育てるように
自然から育児のヒントを得ます。
また、過去から現在の育児を考えるだけではなく、IT社会の未来から育児を考えます。

育児、自然、IT社会

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はじめに

Filed Under (はじめに) by 秋月 秀一 on 16-02-2010

序章
〜はじめに


はじめて庭に花を植えたのは、ある秋のことでした。
ホームセンターで黄色いパンジーの苗を手に取り、レジに並びました。
当時の私は、働いていた公共結婚式場を辞めて、借家を事務所に夫婦で事業を始めたばかりでした。私たちの仕事は、結婚式の印刷物をインターネットから受注することでした。

その頃はまさに暗中模索で、朝から深夜まで休みなく働き続けていました。しかし、数ヶ月後に私は原因不明の病で発熱し、1週間も寝込む羽目になりました。病の床で考えていたのは、私が独立して仕事を始めることに反対していた両親の言葉でした。
当時はパソコンが一般には普及しておらず、インターネットの仕事で成功することなど簡単に想像できませんでした。また、両親が何より心配していたのは、一日中パソコンを相手に働くことで私の人間性が損われるのではないかということでした。
時代に先駆けて始めた仕事でしたが思うように注文は入らず、体調を崩したことによって私は自信を失いかけていました。
「本当に今ままでよいのだろうか?」という疑問は、日ごとに大きくなりました。そして、心の中で何かのバランスが崩れて一方へ傾きかけているように思えてきました。
そんな時に手にしたのが、黄色いパンジーの苗でした。

私は小さな庭の一角にスコップで穴を掘り、苗を植えました。すると、そこにだけスポットライトが当たっているようで、なんだか寂しい感じがしました。
私は再びホームセンターに出かけて行き、同じ苗を4つ買い求めて横一列に植えました。黄色いパンジーが5つ並ぶと、庭は華やかな雰囲気になりました。
しばらくして仕事の合間に庭を見ると、黄色だけでは単調なように感じました。そこで私は白色の花を買い求めました。

翌春になると、小さな庭は色とりどりに咲く花や緑のハーブで溢れていました。
会社員を辞めてから、私の頭の中は仕事一色でした。しかし、本やネットで植物のことを調べるうちに、次第に花や緑のことを考える時間が増えました。
仕事の合間に時間を見つけては庭へ出て花殻を摘み、雑草を抜きました。
庭仕事は私にとって何よりの気分転換になりました。
また、体を動かすことで健康管理を心がけるようになりました。
そして、庭に植える植物の配色やバランスを立体的に考えることは、デザインの仕事にもよい影響を与えました。
小さな庭には、テーブルと椅子を置きました。緑と花に囲まれて考え事をしたり、夫婦でお茶を楽しむ時、私はささやかな幸せを感じました。

小さな庭は、私の価値観に大きな影響を与えるようになりました。
そして、そこから何かを学ぼうとする気持ちが芽生えました。
インターネットビジネスは「スピード志向」が普通です。早くビジネスを立ち上げ、早く優位性を築いたものが勝者になると言われます。
しかし、私が小さな庭から学んだことは「何事も一度にはできない」「結果はすぐに出ない」ということでした。
それからは「仕事を育てる」ことを意識し、実践しました。
すると、私たちの努力は少しづつ実を結び始めました。

開業して4年目の秋が訪れた時のことです。
私は借家の窓際に立ち、遠くの神社を見ていました。そこにはイチョウの木が見事に色づいていました。
神社まで散歩に出かけると、イチョウの木の下に実が落ちていました。自分の庭でも黄葉が楽しめたらと思い、私はそれを家に持ち帰って植えました。
しかし、イチョウの実が芽を出すことはありませんでした。

しばらくして、妻の妊娠が分かりました。
私たちは結婚して8年間もの間、子宝に恵まれず、もう子どものことを半ば諦めていました。ふたりで仕事をがんばり、あるがままの日々を楽しめばいいと思っていたのです。
また、私は子どもが好きではありませんでした。当時の私の目に映っていた子どもたちは、ただ喧しくて面倒な存在でした。

翌年の夏に娘が誕生すると、平穏で単調だった私たちの暮らしは一変しました。生活で「育児」が大きなウエイトを占めるようになったのです。
当時の私は「育児」を妻に任せて、自分は仕事に徹するように分担しようと考えていました。最初は子どもをお風呂に入れることだけが私の仕事でした。しかし、同じ屋根の下で1日の大半を共にするうちに、私は自ら進んで「育児」に手を貸すようになりました。
子どもが夜泣きをしていると、とても仕事をしている気分になれず、2階の寝室へ駆け上がって子どもを寝かしつけました。
どうしてそのようになったのかは、自分でもよく分かりません。子どもが「かわいい」というよりは「自分のことだから」という責任感に近い感覚でした。
私にとって子どもは本当に不思議な存在でした。一緒にいて手をかけるほど、人として自分が試されているような気持ちになるのです。

ある日、私は小さな庭から育児のヒントを得ます。
それは「小さい時に手をかければ、あとは自然に育つ」という教えでした。
子どもが幼い今だからこそ、自分に出来る限りの力をかけるべきだと直感したのです。

それからの私は「仕事」と「庭」と「育児」を関連させて考えるようになりました。
「庭」から「育児」を考えることは、自然を考えること。
「仕事」から「育児」を考えることは、将来を考えること。
そして、子どもを育てることは、自分自身を育てることでした。

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【楽育】とは

Filed Under (1-1.楽育とは) by 秋月 秀一 on 15-02-2010

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第1章の1

庭を見れば、住む人のことが分かる。
〜「楽育とは」


「庭を見れば、その人のことが分かる」と言われます。

まったく手入れをせずに放任された家の庭では
子どもは放任されて育てられます。
直線的に花や緑を植えて、同色でまとめた庭では
親が子どもを管理して育てます。
自分が見て楽しむよりも、家の外から人に見せる庭では
親がいつも世間体を気にしながら子どもを育てます。

【楽育】が目指すのは
自然でありながら、よく人の手が行き届いている庭です。

【楽育】とは
育児を通じて、私たち親も成長すること。
子どもと共に成長する日々を楽しむことです。

育児では、人としての力が試されます。

どんなに素晴らしい学歴も資格も、社会で培ったキャリアも、
子どもと一対一で向き合った時には無力です。

仕事では、効率化が自分に求められていました。
しかし、育児では、効率化が通用しません。
むしろ、非効率であることが大切なこともあります。

仕事では、目に見える成果が求められました。
しかし、育児では、すぐに成果は現れません。
むしろ、目に見えないものを育てることが大切なのです。

育児では、私たちの
「想像力」が試されます。
「思考力」が試されます。
「表現力」が試されます。
「行動力」が試されます。
「忍耐力」が試されます。
「精神力」が試されます。
「柔軟力」が試されます。
「共感力」が試されます。
「適応力」が試されます。
「判断力」が試されます。

育児では、私たちの
「人間力」が試されるのです。

【楽育】は、子どもの未来について考えます。そして
私たちに今、何ができるのかを考えます。

【楽育】では3つのステップを通じて、子どもの成長を支えます。

(1)土をつくる。
(2)種をまく。
(3)水やりをする。

土をつくるはことは、「環境をつくること」。
種をまく事は、「働きかけること」。
水やりをする事は、「習慣にすること」。

花や木を育てながら、そこから学ぶことがあるように
育児では、子どもから教えられることもあります。

パソコンを使えば、自分が求める答えを瞬時に出すことができます。
しかし、自然が相手では勝手が違います。
本に書いてある通りに土をつくり、種をまき、世話をしても
思い通りにならないケースがよくあります。
また、どんなに手間とお金をかけても
花はすぐに咲いてくれません。

自然は、人の思い通りにはなりません。
私たちにできることは、
美しい花が咲くことを信じて、
愛情を注ぎ、じっと見守ることです。

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未来から育児を考える

Filed Under (1-2.未来から考える) by 秋月 秀一 on 15-02-2010

第1章の2

大きく育った時を、よく考えてから植える。
「未来から育児を考える」


苗木を植える際は、大きく育った時のことをイメージして場所を決めます。家の近くに植えた苗木が成長して外壁を傷めたり、高い木が日光を遮り、庭が日陰になることがあります。
大きく育った木は、根を痛めると枯れやすいために植え替えを行うのが困難です。
私たちは最初に植えつける時から将来をイメージしておく必要があります。
庭は一度に完成しません。試行錯誤を繰り返しながら、少しづつ理想に近づきます。

将来を見据えた計画のことを「グランド・デザイン」と呼びます。
デザインとは、イメージすること。
デザインとは、設計することでもあります。

私は娘の送迎のために、保育園や幼稚園へよく足を運びました。
園児の母親たちと知り合って、気がついたことがあります。
それは、多くの母親が過去の体験をもとに、現在の育児を考えていることでした。
私たちが生まれ育った時代と現在には、大きな違いがあります。
それは社会の大きな枠組みが「産業化社会」から「IT社会」へ移行したことです。

「産業化社会」の特徴は、集団で大量の生産を行なうことにありました。
より早く、より正確に、忠実に物事を実行する能力が求められました。
一方「IT社会」では、より早く、より正確に、忠実に物事を実行するのは
人ではなく、コンピュータが制御する「IT機器」に求められます。
企業がIT化を目指すとき、その裏には人件費の削減という目的が見え隠れします。
ITで便利になることは、人の仕事が奪われることでもあるのです。

「IT社会」において、人に求められるのは、どんな能力でしょうか?
その答えを知るには、過去から学ぶとともに、未来から育児を考えることが重要です。
私たちが幼い頃に夢見た21世紀は、ハイテクに彩られた明るい未来でした。
現代の子どもが大人になった時の社会は、どんな姿でしょうか?

子どもたちの将来は、高齢化社会、国際化社会、循環型社会でもあります。
高齢化社会では、労働人口が減少する中での経済活力の維持、国による多大な社会保障の負担などが懸念されています。
国際化社会では、国と国との関係が緊密になり、貿易が発展します。日本企業は価格競争力を維持するため、さらなる人件費の削減を余儀なくされます。
また、循環型社会では先進国には環境政策が求められ、企業が生産性に応じた負担を税金として納めるコストが増大するでしょう。
日本企業は、安い労働力と低い税負担を求めて海外へ進出し、国内の産業は段階的に空洞化する恐れがあります。
今、多くの日本人が漠然と感じていることがあります。
それは、長く経済成長に後押しされて、ひたすら「上り坂」を歩んで来た私たちですが、今はもう「下り坂」を歩んでいるのではないかという不安です。

かつて、多くの人が「子どもは普通に育ってくれればいい」と願った頃がありました。
それは、国民の大多数が自分は中流であると意識した「一億総中流」の時代でした。
そして、現代は「格差社会」です。格差とは中流が減り、経済的に「豊かな人」と「貧しい人」に二極化することです。今後も、ますます「格差」は顕著になり、明と暗、勝者と敗者がはっきりと別れる言われます。
すでにアメリカ社会においては「格差」が大きな問題となっています。
小林由美著『超・格差社会アメリカの真実』では、《上位5%未満の層に全米の60%の富が集中しており、メーカーなどで働く中産階級の大半は「貧困層」への道を辿っている》と紹介されています。
格差社会はごく一部の豊かな人と、大多数の貧しい人を生み出すことが確実のようです。
そこでは、厳しい競争が予想されます。
競争に負けないためには、社会から求めらる力を身につけねばなりません。
【楽育】では、子どもが自立して「経済的な豊かさ」を得るための種まきをします。

幸せになるために「経済的な豊かさ」のほかに必要なものがあります。
それは「こころの豊かさ」です。
現代社会は「ストレス社会」とも言われます。私たちは、ストレスという言葉を聞くと、会社の人間関係をイメージしがちです。しかし、ストレスはもはや大人だけのものではありません。
奈良県教育委員会が、平成21年に行った《子どものストレス》に関する調査結果では、小学校で約3割、中学校で4割以上、高校生では半数以上が強いストレスを感じていることが分かりました。また、ストレスの反応は次の4つに分類されています。
(1)頭痛、体がだるい、疲れやすいなど「身体」に関するもの。
(2)いらいら、怒りっぽい、何もかもが嫌など「怒り」に関するもの。
(3)さびしい、悲しい、心配、落ち込みなど「不安」関するもの。
(4)頑張れない、やる気がしないなど「不集中」に関するもの。
ストレスは、学級崩壊、いじめ、引きこもり、非行、自殺など様々な問題を起こします。
【楽育】では、ストレスに負けず「こころの豊かさ」を育むことを目指します。

「経済的な豊かさ」と「こころの豊かさ」は、決して新しい価値観ではありません。
昭和45年、時代が求める姿を色濃く反映したCMが話題になりました。
《モーレツからビューティフルへ》(富士ゼロックス)

私たちのライフスタイルは、もう「ビューティフル」になったでしょうか?

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子どもが自立できるように導く

Filed Under (1-3.子どもの自立) by 秋月 秀一 on 15-02-2010

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第1章の3

ナチュラルガーデンと、放任の庭は違う。
〜「子どもが自立できるように導く」

ガーデニング愛好家の間では「ナチュラルガーデン」が注目されています。
「ナチュラルガーデン」は、庭を型にはめて作り込みません。
そよ風を肌で感じるように、心地よく自然を実感できる庭を作ります。そこは植物が持つ、みずみずしい生命感に溢れています。
「自然」がテーマであれば、管理をしなくてよいと考える人もいます。
しかし、人が庭の手入れを怠ると、たちまち雑草が生えてきます。
雑草の繁殖は旺盛で、人の手で植栽した植物の勢いを上回ります。
すると、いつしか荒れ果てた放任の庭となります。
人が手をかけずにおいて「ナチュラルガーデン」は実現しません。

「子どもを自然に育てたい」と望む人がいます。
そこには「伸び伸びと育って欲しい」という願いが込められています。
しかし、親が「自然に」を意識するあまり、子どもの行動を放任していることがあります。放任して育てられた子どもは、自分の好きにすることが自由であると勘違いをします。そして、社会的なルールやマナーを守ることができない人に育ちます。

かつては「子どもは社会の宝」として、地域で育児を行う共助の精神がありました。
私自身も幼い頃は、よく地域の大人たちに叱られていました。
隣家の庭を勝手に横切ると、「こら!」と怖い顔のおじさんが出て来て、人さまのものと自分のものは違うことを説教してくれました。
その頃は怖くて泣いていましたが、今ではなつかしく思い出すことがあります。
子どもを叱るのに、愛情と気力が必要なことを私が知ったのは、ずっと後のことでした。

当時は大人の間で、子どもがしても「よい事」と「悪い事」に共通の価値観やお互いの信頼関係があったように思います。私が悪いことをしたと知った両親や祖母は、それぞれの立場から私の行動を正そうとしてくれました。
かつて大人たちの考え方には、一貫性がありました。
しかし、現代は違います。大人の間で共通の倫理観が失われています。

たとえば、私の知人が道にゴミを捨てる子どもを注意したときのことです。その子の親から思わぬ反感を買ってしまいました。
「うちの子がゴミを捨てたのは悪いけど、なぜ、あなたにそれを言われなければならないのですか?あなたには何の関係もないでしょう?」。
この人にとって、自分の子どもが他人に注意されることは、受け入れがたい事実でした。
人が注意してくれたのは、子どものためであるという感謝の気持ちよりも、自分のプライドを傷つけられた感情の方が強いのです。
この時に横で大人のやりとりを聞いていた子どもは、何を思ったでしょうか?
母親のしたことは、子どものためになったでしょうか?
周囲の人は次第に「あの親子には関わらない方がよい」と気づくでしょう。
このような人がいると、地域の中で子どもを見守ることを遠慮する人が増えます。
なぜなら、親の顔が見えない子どもと、どのように関わればよいのか分からないのです。

わが家では、子どもをよく散歩に連れ出します。近所を歩いていると、よく庭の手入れをしているお年寄りに出会います。そこで私は庭の花や緑の話題を楽しみます。
「水仙がきれいに咲きましたね」と声をかけるだけで、話はいくらでも膨らみます。
近所に住む人に私たち親子の顔を覚えてもらい、気軽に声をかけてもらえる関係を築くことを私は大切に考えています。
その理由は、やがて子どもたちが、親の目の届かない場所で過ごすようになることにあります。子どもたちが危険や事をしたり、社会のマナーに反するような行動をした時に、遠慮なく声をかけてもらえるように。そして、地域の人々が親の目や耳に代わり、子どもを見守ってくれるように挨拶をしているのです。

【楽育】では、子どもの健全な成育を阻む「悪い価値観」を、雑草に例えています。
雑草の生えない庭はありません。
知らぬ間に雑草が生えるように、普段はよい子の子どもの心にも雑草の種がまかれます。「友だちがしているから」「誰も見ていないから」「これくらいなら大丈夫」など、親の目の届かない場所では、様々な誘惑が子どもたちを待っています。

庭の雑草を放っておくと、観賞用の花や緑はその勢いに負けて覆い尽くされます。しかし、人がこまめに雑草を抜いてやると、花や緑に十分な日光と土の栄養が行き渡り、成長を助けます。そして、大きくなれば地面を覆いつくして日陰を作り、新たな雑草の発芽を抑えます。
やがて庭は、あまり人の手をかけなくても、自然で美しい場所になります。

育児においても、幼い頃にしっかりと子どもに手をかけることが大切です。
そうすることで、自分で判断して適切な行動ができる子に成長するのです。

親が子どものために何ができるのかを考え、理想の方向へ導くことは、
自らの価値観を知る事でもあります。
親の価値観が正しければ、子どもは良い方向へ導かれ、
間違っていれば、子どもは悪い方向へ導かれます。

ある秋に茶人、千利休が庭の落ち葉を掃除していました。
そして、掃き終えると、数枚の落ち葉をきれいな庭に蒔きました。
それを見た人が不思議に思って尋ねると、利休はこのように答えたといいます。
《秋の庭には少しくらい落ち葉がある方が自然でいい》

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見た目よりも、子どもの心を育てる。

Filed Under (1-4.心を育てる) by 秋月 秀一 on 14-02-2010

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第1章の4

小さい時に手をかければ、あとは自然に育つ。
〜「見た目よりも、心を育てる」


米作りには「苗半作」という言葉があります。「しっかりと良い苗を作れば収穫までの半分は成功したようなもの」という意味で使われます。植物を育てるのに一番大事な時期は、種が発芽してから根が張るまでの間です。芽が出たばかりの頃に、茎や葉が傷んだり虫に食べられると、その後の健全な成育は望めません。
ところが、小さい苗の時に精一杯手間をかけてやれば、後がとても楽になります。苗が大きくなると植物の成長スピードが上がって病気や食害に勝るのです。また、たとえ日照りが続いたとしても、根を深く張っていれば簡単には枯れません。

『3つ子の魂百までも』という諺があるように、育児においても一番大切な時期は、誕生から幼児期の頃です。
この時期には、目に見える成果よりも、子どもの心を育てることが大切です。
【楽育】では、子どもの心を植物の「根」に例えています。根は土の中にあり、私たちが見えないところで成長します。
根がしっかりと張っていれば植物は強くなり、多くの花を咲かせます。反対に根の張りが浅ければ花や枝を支える力が不安定になり、ちょっとした雨風で倒れてしまいます。
「家庭環境」が、しっかりと根を張って自立するための「土」となり、
「生活習慣」が、茎を伸ばして葉をひらく成長の「水」となり、
そして、親からの「愛情」が太陽の「光」となって子どもを育みます。

子どもが誕生した瞬間から、誰でも「幸せになって欲しい」と願い、ありったけの愛情を注ぎます。しかし、自分でも気づかないうちに愛情ではなくストレスを与えていることがあります。子どもはストレスを感じると、不安で落ち着かない気持ちになります。

ユニ・チャーム(株)の調査によると、母親の72%が育児に不安やストレスを感じているそうです。また、そのうちの85%が「パパの育児参加によりストレスの半分以上は解消される」と答えています。

母親のストレスの主な原因は「自分の時間がとれないこと」「自分の思い通りに育児ができないこと」にあると言われます。
「自分の時間がとれないこと」は、そのことを思うほどにストレスがたまります。
しかし、「忙しい」ことは自己暗示である場合が少なくありません。

自分のために欲しいのは、本当に大切な時間でしょうか?
「もっと自分の時間が欲しい」と思った時に、私は次のことを普段よりも深く考えます。
(1)「自分の時間は、何をするためのものか?」
(2)「自分の時間は、どのくらいの長さ、頻度が必要か?」
(3)「どうすれば、自分の時間が手に入るか?」
すると、自分の時間は現実逃避の幻に過ぎず、最優先で行なうほどではないことに気づきます。また、それは時が経ち、子どもに手がかからなくなれば、いくらでも取り戻せる時間であるように思います。
私たちにとって本当に大切なものは、子どもと今を一緒に過ごすことなのです。

「自分の思い通りに育児ができない」と感じる時は「完璧主義の罠」に捕まっている可能性があります。育児に完璧な正解はありません。
「○○でなければならない」という思い込みがあると、もがくほどに罠から抜け出せなくなってしまいます。
また、育児では他人の目を意識し過ぎて、ストレスを感じることもよくあります。
たとえば「赤ちゃんの泣き声を人に聞かれたら、育児をちゃんとやっていないと思われないか」など、子どもの行動で親が評価されるのを不安に思う時があります。
けれども、自分で思っているほどに、赤ちゃんの泣き声は人に不快なものではありません。私たちが住んでいた家では、近所の人から「最近、赤ちゃんの泣き声が聞こえずに寂しい」と言われたこともありました。不安は思い込みや勘違いであることが多いのです。

保育園や幼稚園へ入ると、自分の子どもをよい子に見せようとする母親がいました。
しかし、子どもに「よい子」であることを求め過ぎると、うわべだけをうまく取り繕い、思わぬところで悪い芽が出ます。
娘が通っていた幼稚園では、母親の前ではよい子でも、親のいない所では態度が豹変する子どもがいました。普段は素直に見える子が急に乱暴したり、友だちを誘ってほかの子に嫌がらせをするのを知った時には唖然としました。
親の期待が大きい子は、親の前では「よい子」であり続けようとします。
けれども、親の期待に応えられない日が来ると、簡単に心が折れてしまうそうです。
「よい子」だった子どもが、何の前触れもなく家族に暴力を振るうようになったり、自分を傷つけたりすることは、現代では珍しい例ではありません。

【楽育】では、幼児期の子どもは外見を気にするよりも、「心」をしっかり育てることが大切だと考えています。
子どもと過ごす時間は、いつも楽しいことばかりではありません。
些細なことに腹が立ったり、思い通りにならずイライラしたり、求められるばかりで鬱陶しく思えるのが日常です。しかし、それが永遠に続くわけではありません。
誕生から幼児期までの子どもの成長はたいへん早く、後になってみれば「あっという間だった」思えるものです。
私は育児がつらく感じた時は、まずは自分自身の心の中で固い土を柔らかく耕すことから始めます。
小さな苗を両手で支え、柔らかな土に真っすぐに仕立るつもりで、こう思います。
「今が一番大切な時期。やがて全てが良き思い出となる」。

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