10歳までの楽育〜第4章の13

小さな芽を踏まないよう気をつける。

〜「子どもを尊重する習慣」


庭で草抜きや剪定をする時、思いがけず小さな芽を踏んでしまい「しまった」と思うことがあります。最初は気をつけていたつもりが、他の事に気を取られていました。気がつけば、土から顔を出したばかりの小さな芽は、無残につぶれていました。ちょっとした不注意で、大きく育って花を咲かせる機会を奪ってしまいました。

育児においても、親が子どもの成長の芽を潰すことがあります。
子どもが大事にしている小さな価値観や誇りの芽を、最も身近な存在である親が踏みにじってしまうのです。
【楽育】では、子どもの価値観や誇りを大切にし、親が尊重することを習慣にします。
自分自身の価値観や行動に誇りを持つことは、子どもの成長にとって不可欠です。また、親がそれを大切に扱うことがよい芽を伸ばすことになります。

よく私が失敗するのは、他人から子どもをほめられる時です。
たとえば、参観日で知人の保護者から「よく発表できていましたね」など我が子をほめてもらった時に、つい謙遜して「元気がいいのだけが取り柄で・・・」などと、余計なことを口にしてしまいます。
私たちは「謙虚さ」を重視する国民性のためか、人から評価されても素直に受け取れない姿勢が身についています。しかし、このことは子どもにはとうてい理解できません。
「家ではほめてくれるのに、外に出ると全く違う」というように親の態度に子どもは矛盾を感じます。そのような事が繰り返されれば子どもの誇りは傷つき、親に対して不信感を抱くようになります。
そして、相手によって態度を変えたり、気分よって態度が変わるという悪い習慣が芽生えてきます。

時には、親の勝手な思い込みや決めつけによって、子どもの誇りが傷ついてしまうこともあります。
近所の幼児が、縄跳びをする小学生のマネをしようとした時のことです。よちよち歩き始めたばかりの子が飛べるはずもないのですが、必死に両手を広げて縄跳びに近づきます。すると、母親が「まだ、早いよ。危ないからやめて」と小さな子どもを制しました。
子どもに縄跳びを与えても親が近くで見ている限りは、それほど危険はありません。ちょっとやらせてみれば、自分の力量を知ることができるでしょう。
しかし、親が介入することで、新しいことにチャレンジする意欲の芽や、好奇心の芽が摘まれます。

人前でこどもを叱ることも、子どもの誇りを傷つけることになります。
娘の幼稚園では降園時に、保護者と園児が先生を囲んで話を聞きます。そこで自分の子どもが服を汚しているのを見た母親が「汚いわね、何をしたの!」と皆の前で一喝しました。母親に会えて嬉しそうだった子どもの表情は強張り、ついには泣き出しました。

実は私には、サラリーマン時代に似たような苦い経験があります。広告制作の納期に追われて、数人で会社に泊まり込んだ翌朝のことです。皆で眠い目をこすりながらも、仕事に取り組んでいました。
すると、一人の新入社員が出社するなり、コーヒーを片手に新聞を広げていたのが目に入りました。私は思わず「何やってんだ!」と、怒鳴りつけていました。
社員の大半は私の行動に好意的でした。しかし、普段から私のことを最も気にかけてくれる先輩の言葉は違っていました。
「後輩を育てる事を考えろ。本人はやる気をなくしてるぞ」。
私は新入社員の行動を正したつもりが、その人の気持ちや誇りのことを全く考えずに皆の前で恥をかかせ、傷つけてしまったのです。
このとき私は「褒めるときは人前で、叱るときは人のいないところで」ということを身にしみて学びました。

子どもの誇りを育むために、私が意識して行なうのは「任せる」ということです。
少々難しいと思える手伝いを、積極的に子どもにやらせてみるように心がけています。
わが家の「はじめてのおつかい」は、5才の娘が隣の家まで回覧板を運んだことでした。
娘が1人で玄関を出て帰るまでは、実際には1分ほどでした。
しかし、ずいぶん長く感じられました。
耳を澄ませていると、タッタッと急いで走る足音が聞こえてきました。
私と妻は、扉を開けて娘が帰ってくるのを玄関で待ちました。
そして、無事に帰ってきた娘を拍手で迎えてやりました。

自分に任せられた仕事をやり終えたその笑顔には、
まぶしいくらいに「誇り」という大輪が咲いていました。



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