10歳までの楽育〜第3章の25

知らないうちに、種はまかれる。

〜「価値観」の種まき


隣家の庭では、誰も植えた覚えのないユキヤナギが大きく育っています。きっと野鳥が種を運んできたのでしょう。ユキヤナギは早春になると、雪が積もるように白い花をつけます。大きく広がる枝が真っ白な花でいっぱいになると、たいへん見ごたえがあります。
人が気づかないうちにこんな種がまかれ、見事な花に育つことに感心しました。

育児を行いながら自分の幼少期を振り返ると、その頃にまかれた種が、現在の自分の「価値観」として根づいていることに気がつきます。
私の母方の親戚には、お盆や正月に会うと気前よくお小遣いをくれる大人が多くいました。ところが大阪の叔母だけは、何度会っても一度も現金をもらったことがありませんでした。そのかわりにキーホルダーや文具、そして和菓子などをくれたので、いつも私は不満でした。ある時、その叔母がマーガリンのケースを弁当箱にしている様子を見て「お弁当箱が買えないなんて・・・」と、私は叔母に同情しました。
しかし後に、私は母から驚くべき話を聞かされました。
その叔母は、大阪、神戸で大きな海運会社を経営する社長の令嬢だったのです。身近に富豪がいたことよりも、まさかあの人が!という事実に私は驚愕しました。
真実の影響力は、本や映画で見るものとは比べ物にならないインパクトだったのです。
それからは、周囲からケチと言われる叔母の行動を、好意的に見るようになりました。
当時の私は、お金を持てばすぐに使ってしまう浪費家でしたが、時とともにその意識は変わりはじめました。
そして現在から振り返ると「モノやお金では自分を表現できない」という私の価値観は、あの日の驚きを起点に形成を始めたように思います。

私にはもう一人、素晴らしい「価値観」を与えてくれた人がいます。それは、私が就学前に住んでいた家の隣人で頑固なおじさんでした。隣家からは海へ出ることができたので、魚を捕りに行く時は必ずおじさんの庭を横切らねばなりませんでした。ある日、私が庭を歩いていると、おじさんが出てきて「勝手に入るんじゃない!」と厳しく叱られました。大人に叱られた経験が少ない私は、その人の事が苦手になりました。
それからも危険な遊びをしたり挨拶ができない時は、よく叱られて嫌な思いをしました。
そして、小学校へ入学すると同時に家を引っ越すと、やがて頑固おじさんのことも忘れてしまいました。
30年の歳月が流れ、自分の子どもが誕生した頃から、その人のことをふいに思い出すことがあります。子どもを叱るには、たいへんなエネルギーが必要です。ましてや他人の子となると、多少の事なら見て見ぬふりをした方が楽ができるに違いありません。
しかしあの時、頑固なおじさんは、逃げたりせずに私に正面から向き合ってくれました。私を叱ったのではなく、強く守ってくれていたのです。

「価値観」は、何が大切であるのか、何が正しいのか、何を行なうべきなのかなどを判断する自らの基準です。
核家族化や近所との関係が希薄になった現代では、子どもが大人から影響を受ける機会が失われています。両親の「価値観」がそのまま子どもの価値観になることも珍しくありません。
IT社会では、年齢や地域、国を越えて人々がネットワークで結びつきます。そこでは、自らの「価値観」をしっかりと持ったうえで、他人の多様な「価値観」を受け入れて許容することが求められます。
【楽育】では、リアルな体験こそが、人の「価値観」に影響を与えると考えています。
子ども同士で影響し合うことも大事ですが、ほかの大人から学ぶ機会を得ることも幼児期には貴重な体験となります。
他人からの影響力を享受するために、まず様々な人と行動を共にする機会をつくることから始めます。たとえば、親子で参加できるサークルに所属する、友だちの家族と一緒に出かける、実家には人が集う時期に帰省するなど、ちょっと親が意識してやることで子どもが大人と接する機会ができます。
そこで私は、自分の子どもではなく、よその子どもに対して積極的に働きかけるようにします。また、時には自分から注意をしたり助言をすることも心がけています。
そうすることで、相手の親も私の子どもに遠慮なく接することができるようになります。親の間で信頼感ができれば、実の親子では面と向かって話しにくいことも、子どもに伝えてあげることができます。
たとえば「君のことが大事だからこそ、お父さんは○○と言った。お母さんは○○をしたんだよ」という話を、客観的に話して聞かせられます。
子どもにとっては、様々な「価値観」を持つ大人と出会うことで理解が深まり、多様な考え方を学ぶきっかけになります。
そして、そのことが自己を形成する一部になるのです。

私が小学校の頃に教科書で読んで、現在でも覚えている素晴らしい物語があります。
それは、松谷みよ子作の『花いっぱいになあれ』という作品です。

《学校の子どもたちが、ふうせんに花のたねをつけて、飛ばしました。
すると、その一つが子ぎつねのところへ飛んいきました。
風船のことを花だと思った子ぎつねは、それを小さな野原に植えます。
しかし、次の朝には風船はしぼんでおり、子ぎつねはがっかりします。

しばらく雨が続いた後、子ぎつねが再び野原へ行くと
そこには見たこともない芽が出ていました。
それはぐんぐん伸びて、やがて金色のひまわりの花を咲かせました。》



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