10歳までの楽育〜第3章の24

朝顔は、朝にしか花を見られない。

〜「表現力の種まき」


朝顔は奈良時代に遣唐使が種を持ち込んで以来、日本人にこよなく愛されています。赤、紫、青、透き通るような色合いの花に水滴が乗った様子は、夏の風物詩にふさわしい美しさです。早朝に開いた朝顔は時間の経過とともに水分を吸収されてしぼんできます。
まるで朝顔は限られた時の中で、その美しさを最大限に表現しているようです。

「表現力」は、自分が思ったことや相手に伝えたいことを、言葉や文章で正確に伝える能力です。
「日本人は外国人と比較して表現力が乏しい」と言われます。国際的な会議や交渉の場において、日本人は自分の意見を主張できずに損をしていることが多いようです。自己表現ができないのは英会話が不得手なことよりも、論理的に物事を考えたり主張する技術が足りないことにあります。

これからは、インターネットを通じて行われる電子会議が一般的になります。従来のような人が集う会議であれば、大した発言をしなくてもその場所にいるだけで出席したと見なされました。しかし、電子会議においては、発言して自己アピールをしなければ、不参加に等しい扱いを受けることになります。また、電子会議では誰がどんな発言したかと言うことが記録に残ります。そのため年齢や役職に関係なく、表現力が仕事の評価につながります。
「表現力」は、IT社会において不可欠なスキルなのです。

幼稚園で娘が一輪車に乗ろうと順番を待っていました。やっと自分の番がやって来て一輪車に乗り始めた矢先、ほかの子がやって来ました。そして娘の前に立って「貸して」と言いました。娘は嫌とは言えず、しぶしぶと一輪車を手放しました。
後で娘に「なんで、ちょっと待ってと言わなかったの?」と聞くと「だって、貸してと言われたら、いいよって言わなきゃダメなのよ」と答えました。
私から「でも、交代したばかりだから、ちょっと待ってと言ってもいいんじゃない?」と話すと、はじめて後悔している様子でした。
思い込みのルールを信じる余り、娘は自分の気持ちを表現することができませんでした。

子どもたちの「表現力」をつけるために、どんな種まきができるでしょうか?
【楽育】では「表現力」のスキルを勉強としてではなく、今しかできない喜びを通じて身につけます。親子で楽しい体験や興味のあることをテーマに、文字に書いたり、口に出すことを繰り返すことが「表現力」の基礎になると考えています。

子どもの成長は早く、今と同じ瞬間は二度と訪れません。
今しかできない楽しみ方を見つけること。今しか感じることができない気持ちを記録に残すこと。それは、きっと親にも、子どもにもかけがえのない宝物になるでしょう。
子どもと一緒に過ごす時間を形に残し、また同時に「表現力」を養う糧になればと思いつき、わが家で始めた企画があります。親子で体験したこと、観察したこと、感じたことなどを一冊のノートにまとめる「親子クラブ」です。
「親子クラブ」のノートは、親子で1冊づつ用意します。最初に「いつ、どこで、だれが、なにをした」ということを活動記録カードに記入してノートに貼り付けます。ノートには撮影した写真、パンフレットの切り抜き、入場チケット、スタンプなど何でも貼付できます。そして、親子で思ったことや知ったこと、感じたことなどを話し合いながら、文字や図、絵などで記録していきます。そして、家族の前で声に出して発表します。

小1になった娘の「親子クラブ」ノートには、ロボット犬と本物の犬の違い、手作り家系図、赤めだかの観察、旅行記録、演劇鑑賞の感想、博物館の見学、イベントの参加記録、リサイクル工作の作品など多種多様なテーマで溢れています。「親子クラブ」を始めた当初は箇条書きで、ノートに思いつくままを書き込んでいました。そして半年後、図解を取り入れ、内容を分類しながら記入できるようになりました。
あるテーマに対して、深く考えること、様々な方向から考えること、第三者に伝わりやすくまとめることが「表現力」の基礎になります。

小1の国語の授業で、雲のクジラと小学生たちの交流を描く物語を読んだ時のことです。
生徒たちにプリントが配られ、そこへ自分がクジラになったつもりで気持ちを書くように言われました。
私は娘は書いた文章を読んで、思わず心が浮き立ちました。
1枚のプリントは、びっしりと小さく書かれた文字でいっぱいでした。
そこはクジラになった娘の気持ちが、こぼれんばかりに溢れていたのです。

私はやがて表現の量が質へと発展することを期待しています。
そして今は、きれいに文体を整えることよりも、感じたことを思うままに表現する意欲を養うことが大事であるように思いました。

茶人の千利休は、表現の達人でもありました。
利休の屋敷には、庭一面に美しい朝顔が咲いていました。
ある夏の朝、その噂を聞いた豊臣秀吉が、利休の屋敷へ出かけて行きます。
ところが、利休は秀吉が来る前に、庭の全ての朝顔を刈ってしまいました。
それに激高する秀吉を、利休は茶室に招き入れます。
すると、その床には
ただ一輪の朝顔が生けられていたといいます。



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